ササキの映画感想日記

観た映画やおすすめの映画の感想などを書いていこうと思います。あらすじには多少のネタバレを含んでいるので未視聴の人は注意してください。twitterアカウント:@sasakimovie

映画「九月の恋と出会うまで」の感想、あらすじ

九月の恋と出会うまで

2019年公開の日本映画。出演 高橋一生、川口春奈。監督 山本透。

©松尾由美/双葉社 ©2019 映画「九月の恋と出会うまで」製作委員会

一年後の未来からの声によって命を救われた女性が、タイムパラドックスによる自身の消滅を防ぐために、小説家志望の隣人と共に声の主を探していく話。

あらすじ

芸術活動をする人が集まる変わったアパートに引っ越してきた北村志織は、ある日部屋のエアコンの穴から不思議な声を聞いた。その声は隣の部屋に住んでいる平野の名を名乗り、一年後の平野の部屋から志織に時を超えて声をかけている、と言ってきたのだ。

 

その声は、志織にある頼みごとをした。それは一年前の自分、つまり志織にとっては隣の部屋に現在住んでいる平野を、数日間尾行してほしいということだった。

声の主はとても困っている様子だったので、志織はしぶしぶそれを受け入れ、平野の尾行を始めた。しかし、彼女がその行為の理由を何度尋ねても、声の主がちゃんと答えてくれることはなかった。

そして、声の主に頼まれた尾行の最終日。志織は風邪で熱を出していたため部屋で寝ていたかった。だが一度引き受けた以上やらないわけにもいかず、無理して平野の尾行をつづけた。すると、その日の午後3時。志織の部屋に強盗が入った。一年後からの声の言うとおりに行動していなければ、彼女は強盗に殺されていたかもしれなかった。志織はあの声に命を救われたのだ。

志織は今度こそ尾行の意味を聞こうとしたが、その日から例の声は聞こえなくなってしまった。

 

その後、あるきっかけから志織は現在の平野と話すきっかけができ、一年後からの声のことをすべて彼に話した。簡単には信じてくれないだろうと思っていたが、小説家志望でSF好きの平野は意外と簡単にそれを信じた。そして、志織のために徹夜までして、その現象について考えてくれたのだ。

 

彼はまず、その声の主はおそらく自分ではないことを志織に告げた。これまでタイムリープについて調べたことから推測すると、時間がずれる場合、場所は同じ所で起こる場合がほとんどだったからだ。なので平野は、次に志織の部屋に越して来て、一年後にそこに住んでいる人物が、例の声の主なのではないかと考えていた。

そして、重要なのは次の点だった。志織がその声によって命を助けられたことで、時間的な矛盾が生じてしまう、と平野は言った。

志織が生きていれば声の主は彼女を救う必要がないため、一年前の彼女に話しかけなくなる。しかし声の主と話さなければ志織は助からない。という矛盾である。

その状態になってしまうと最悪の場合、志織は一年後に消えてしまうと平野は予測していた。しかし彼は、その解決策も考えていた。それは、一年後から志織に声をかけてきた人物を探し出し、同じ言葉を一年前の彼女に伝えるよう頼むことで、無理やりつじつまを合わせることだった。

 

平野はその声の主をシラノと呼び、それからは志織と協力して、一年後シラノになるかもしれない人物を探し始めた。

そのうちに二人は親しくなり、お互いに惹かれ合っていった。だが、平野は自分がシラノではないことを気にして、彼女と恋人のような関係になることを避けていた。彼は、自分が彼女の運命の人ではないと分かっていながらも、愛する志織を救うために、彼女を守ってくれるシラノを全力で探し続けたのだ。

 

そんな時、シラノになるかもしれない人物が彼らの前に現れた。平野は志織をその人物に任せるため彼女から身を引こうとしていたが、同じく平野を愛し始めていた志織の心境は複雑だった。

平野を愛する今の気持ちを大事にするか、それとも、約一年後に起きるかもしれない事態を防ぐために好きでもない相手と一緒になるか。

究極の選択を迫られた志織の決断は…。そして平野は、彼女を思うために驚くべき行動を起こすのだった…。

感想(ネタバレあり)

まず、高橋一生さんが演じていた平野さんが、とても紳士で優しくてかっこよかったです。

初めて話した人のために丁寧な看病をしてあげて、さらに料理まで作ってあげて、挙句の果てには、未来からの声が聞こえたという訳の分からない言い分にまで、解決するために有休をとって付き合ってあげるという、まるで漫画から出てきたようなかっこいい素敵な男性でした。平野さんが寝ている志織に冷えピタを貼るところは、とてもドキドキで良かったです。

志織本人すら忘れていた誕生日のプレゼントを用意して彼女を元気づけていたところも、本当に良い人の理想を描いたような感じでした。

 

そして、平野さんと志織がデートする様子が、とても微笑ましくて良かったです。似た設定の映画の『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の感想にも書きましたが、美男と美女なら、楽しそうに話しながら歩いているだけで綺麗な画面になるし、観ている方もとても幸せな気分になります。

特に私が好きだったのは、平野さんが志織に小説を見せるのを嫌がっていたら、志織が「ケチ」と言って、「ケチで結構」と平野さんが返すやり取りを、何度も楽しそうに続けていたところです。二人が本当に幸せそうで、観ているこっちまでニヤニヤしてしまいました。その後、言葉を逆にして繰り返すのもまた微笑ましかったです。

 全てが終わった時、幸せそうにしている二人を見ていると普通に嬉しく思いました。

 

志織が信じられないようなことを言っていたのに加えて、平野さんもSF映画みたいな話を延々としていたのに、お互いに理解が良すぎる気はしましたが、その辺の違和感は二人ともいい人なのだということで納得できました。

しかし、私が不自然に思ったことは、他にもいくつかありました。

気になった点について

私が一番気になったのは、終盤の公園で二人が言い合いをするシーンです。平野さんがあそこまで言って志織を自分から離そうとする理由が分からなかったです。志織は真一と付き合うべきだと誤解していたにしても、「平野さんじゃダメですか?」と聞かれてもなお、嫌がる志織を真一とくっつけようとするのが、納得いきませんでした。

平野さんが、自分がシラノではないと頑なに思い込んでいることが原因にあったのかもしれませんが、それ自体の理由が私にはよく分かりませんでした。

そもそも、決まった日にちに志織の家に行って、エアコンの穴に決まった言葉をかけるだけなのだから、最初から平野さんがやればいいのではと、私はずっと思っていました。その方が、謎のシラノという仮名の人物を探すよりもよっぽど簡単です。

もともと平野さんは志織のことが好きだったそうなので、シラノ探しは志織と一緒に出掛けるための口実かとも思いましたが、それならば嫌がる志織を無理に真一とくっつけたがる意味がまた分からなくなります。

全然ロマンチックではないかもしれませんが、平野さんの最善の手は、最初に未来の声の話を聞いた時に「じゃあ僕が一年後にまたここにお邪魔して、一年前のあなたに同じようにお話ししますよ」と提案することだったと思います。二人とも引っ越す必要すらなかったのではないかと思いました。

あれだけ事態を難しく考えていながら、SF好きの設定である平野さんがそれに気づかないというのは、少し違和感がありました。『ガリレオ』なら5分で気づきそうなことですが、それを最後まで引っ張っていたのを不自然にも感じました。

一度相手のためを思ってひどいことを言って別れて、でもやっぱり大切なことに気づき、思い直して頑張ったことで、結果を出して彼女を助けられる。それはとてもロマンチックな展開だと思います。ですが、設定を最大限にロマンチックな展開にするために、平野さんのキャラクターが強引に振り回されているような印象を受けて、私はそのSF要素はあまり好きになれませんでした。原作ではもう少し自然に描かれているのかもしれませんが、映画だけ観た私は、平野さんの思考の理解に苦しみました。

しかし、最後の時間が近づいていても、志織が平野さんを信じてジタバタせずに待っていたところは、割と好きです。

 

また細かい点になりますが、二人が志織の大学に行った時に、シャボン玉を飛ばす人たちに囲まれながら歩くシーンがあったのですが、そんなことあるのか?と思ってしまいました。私は大学事情に詳しくないですが、あんなに普通にシャボン玉を飛ばしているような楽しい大学があるなら、行ってみたいと思いました。美男美女の二人がシャボン玉に囲まれるのはロマンチックですし、実際にそんな大学があるのかもしれませんが、私はあの状況は少し変に思ってしまいました。

『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』では、京都の普通の街並みの中を、限りある時間を過ごす二人が幸せそうにデートしている姿がとても良かったです。しかしこの映画は全体的に、ロマンチックになるような状況を無理に作りすぎている感じを受けました。

もっと言うなら、アパートの他の住人を有名な方が演じていましたが、そんなに出す必要あったかなとも思いました。ほとんど二人だけで成立する物語だったので、二人の空気を楽しみたい私には、他の住人の何人かは必要ないようにも思えました。

 

さらに細かい点を挙げるなら、志織が真一のことを思い出して平野さんの家に行った時、料理を作っていた平野さんが「良かったら一緒に食べませんか?作りすぎたので」と言って、志織を家に入れるシーンです。かっこよくて優しい男性が、手料理を振る舞ってくれるというのは、状況としてはとても良い展開だとは思いました。

しかし私は、なぜ作りすぎているのだろうと考えてしまいました。志織は特に約束して行ったわけではなかったので、平野さんに彼女を迎える準備ができるはずがなかったのです。初めは料理に慣れていなくて多く作ってしまったのかとも思いましたが、その直後に、一人暮らしが長いから料理の腕はついてきたと自分から言っていました。

この作品はタイムパラドックスを扱った映画なので、まさか何かの伏線なのではないかと思って、私は最後までずっとそのやり取りを覚えていました。しかし結果は残念なことに、普通に作りすぎていただけでした。

もしかしたら、優しくて志織のことが好きだった平野さんのことなので、嘘をついて、次の日の朝食べようと思っていた分を、志織にあげていたのかもしれません。しかし、「作りすぎたので一緒に食べませんか?」という言葉は、私の中では訪問される側ではなく、訪問する側が料理をもって訪ねる時に言うセリフのイメージがあったので、少し考えすぎてしまいました。

冷静に考えてみれば、初めて挑戦した料理とかであれば、料理が上手い人でも失敗したり作りすぎたりすることもあります。この点に関しては、完全に私の考えすぎでした。

 

不満な点をいくつも挙げてしまいましたが、主題歌は良かったです。最後に流れる歌は映画の雰囲気にとてもよく合っていて、劇中で気になった点はいくつかありましたが、それを聞いていると、とても良い映画だったと自然に思えるくらい、ピッタリな優しい雰囲気の歌でした。

まとめ

高橋一生さんがとても優しくてかっこよく、川口春奈さんはとても可愛く見えて、二人の幸せそうな雰囲気が微笑ましい映画でした。気になった点はいくつかありましたが、ハッピーエンドで終わったので悪い気にはならない物語でした。

SFのストーリーなどについては、ロマンチックな展開になるように、無理にキャラクターを動かしているような感じがして、私はあまり好きになれませんでした。似た設定なら私は『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の方が好きでした。

デートシーンに関しても私は、『ぼく明日』の方が無理に作っていない素朴な感じがして好きですが、それはたぶん私が個人的に、高橋一生さん川口春奈さんペアよりも、福士蒼汰さん小松菜奈さんペアの方が好きだからです。

どちらも微笑ましくて良かったですし、高橋一生さんや川口春奈さんファンの方なら、その二人の雰囲気をとても楽しめると思います。

この記事を読んだ人へのおすすめ

www.sasakimovie.com

www.sasakimovie.com

www.sasakimovie.com

www.sasakimovie.com

www.sasakimovie.com

www.sasakimovie.com