ゼロ・グラビティ
2013年公開のアメリカ・イギリス製作映画。日本でも同年公開。出演 サンドラ・ブロック、ジョージ・クルーニー。
©2013 WARNER BROS. ENTERTAINENT INC.
宇宙での作業中、事故に巻き込まれてシャトルから無重力空間に放り出された医療技師の話。同じ事故から生き残ったベテラン宇宙飛行士とともに、地球への帰還を目指していく。
あらすじ
地球上空600キロ。気圧も酸素もない無重力空間の中、医療技師のライアン・ストーン博士は、宇宙服を着て望遠鏡を復旧させるミッションを行っていた。
彼女は同じシャトルで活動していた、おしゃべりなベテラン宇宙飛行士のマット・コワルスキーに協力してもらいながら作業をしていた。彼は試作型ジェットパックの試験をしている途中で、楽しそうに世間話をしながらミッションを行っていた。しかし、彼の話が落ちに入ろうとしていたところで、ヒューストンから緊急の通信が入った。
別の場所にあった人工衛星の破片が彼女たちがいる方向に猛スピードで飛んできているため、ミッションを中止して緊急避難しろとの命令だった。
ライアンは一区切りになるまで作業を続けようとしたが、マットに強く命令されてすぐに避難することにした。しかし、彼女の行動は少し遅かった。ライアンが避難を終える前に、破片は彼女が繋がっていたシャトルのアーム部分にぶつかった。彼女はアームごと遠くに飛ばされてしまったのだ。
何とかベルトをアームから外したが、彼女の体はシャトルやマットがいた位置からどんどん離れていき、ついにはマットとの通信まで途絶えてしまった。
通信の応答が無くなり、宇宙服の酸素が減り続ける状況で、ライアンはしばらく一人っきりで漂流していた。彼女がその状況に恐怖を感じていた時、ジェットパックを付けていたマットが一人で助けに来てくれた。それでも、動揺を隠せないライアンに対して、マットは自分の宇宙服と彼女の宇宙服をロープでつなぎ、『どこへ行くのも一緒だ』と言って、落ち着かせた。
その後、二人はジェットパックの噴射でシャトルに戻ったが、被害は壊滅的で、生存者はすでにライアンとマットの二人だけのようだった。彼らは地球へ帰るための宇宙船を手に入れるため、国際宇宙ステーションに向かうことにした。
酸素も燃料も減り続け、他に誰もいない無重力の宇宙空間で、彼らはたった二人で地球を目指すための旅を始めた。しかしその旅は、信じられないほど多くの困難が待ち受けるものになっていくのだった。
感想(ネタバレあり)
とにかく、宇宙の表現がものすごかったです。
人の動きはもちろん、画面に映るすべてのものが、まるで本物の宇宙にあるみたいで見入ってしまいました。マットがシャトルの近くを移動するだけのシーンでも、何回でも見たくなるくらい良くできていて、不思議な感じがしました。逆に宇宙で撮影してないことに驚くくらいでした。
穏やかなシーンですら感動ものなのですから、破片がぶつかるシーンは全部、見ているこっちも大変でした。
一画面の情報量が猛烈にすごいことになっていました。普通は地面に落ちるだけのものでも、画面の全部が、人も物もあらゆる方向に動き続けていますから、全部見たくなってしまいました。ただ一つを見ていると、当然そのシーンは終わってしまいますから、私は巻き戻して何度か見ました。映っているものの回数だけ、見たくなるような場面でした。
特に最初にライアンが飛んで行ってしまうシーンは、画面の情報量に合わせて、彼女の状況も把握しなければならなくて、もはや何が何やら。何を見ていいのか、何を聞いていいのか分からなくなりました。地表でゆっくり画面を見ていたはずの私ですら、あれには少し混乱しました。
ストーリーについて
普段は近くにあって当たり前なものの大切さに気付けるような話でした。
重力ってとても大事ですね。たまに宇宙飛行士さんがステーション内をスーっと動く映像とかを見て、楽しそうって思ったり、地球も重力がなければいいのにと思ってしまったことも、これまでにありました。でも、無かったら無かったで大変なんですね。ネジ一本外すのにも、気を付けないと飛んで行っちゃうんですね。地面に物が落ちて近くに留まってくれるのも、地に足を付けて歩けるのも、全部重力のおかげですから、少しは感謝してみようと思いました。
きっと他のことも同じですね。さすがに普段から重力に感謝しながら生きている人なんて、めったにいないでしょうけれど、普段の身の回りのもので面倒だと思っていることは、誰しもいろいろあると思います。私にもあります。人付き合いとか、よく分からない変なルールとか、全部シャットダウンして逃げたくなる時もあります。
だから、ライアンの気持ちはとてもよく分かりました。とても静かで、目を閉じれば一人きりになれて、誰も自分を傷つけない宇宙空間が、もしかしたら心地いいのかもしれないとも思います。
でも、それらもきっと重力と同じで、無くなったら困るものだと思います。宇宙が心地いいと言っていたライアンも、通信が途絶えた時はとても焦っていましたし、最後は逃げずに地球へ帰る道を選びました。
重力や酸素のように、あって当たり前のものはきっと無くなって初めて、その大事さに気づくのでしょうね。多分、そうなったら私は、とても困ったり悲しんだりするのでしょう。重力や酸素とかは私の意志でどうにかできる問題ではありませんが、せめて自分の目の前にあるものや、手の届く範囲にあるものは、たとえいつか無くなるものだとしても、できる限り大事にしていこうと思いました。
あって当たり前と言えば、私はこの映画を観ている中で、パラシュートへの思いがとても複雑になりました。パラシュートは命を守るものですから、飛行機やスペースシャトルなどには、あって当たり前ですし、感謝すべき存在です。実際、劇中でもライアンの命を何度か救っていましたね。
でも、宇宙ステーションからライアンが離れるときのパラシュートは、正直言って憎いと思いました。あんなにパラシュートを切りたいと思ったことはこれまで一度もありませんし、きっとこれからも二度と無いでしょう。
最後にはちゃんと役に立っていましたから、感謝しましたけどね。結論としては、あって当たり前なもの、パラシュートは必要です。決して憎いなんて思ってはいけません。
マット・コワルスキーについて
マット・コワルスキーさんがとてもかっこよかったです。おじさん、おじいいさんの外国の俳優の中では、私はこれを観るまでモーガン・フリーマンさんがぶっちぎりの一番だったのですが、この映画を観た後は、ぶっちぎりでもなくなってしまったかもしれません。ジョージ・クルーニーさんも同じくらい良いなと思うようになりました。
観た作品のキャラクターの良さがかなり影響していますけれどね。
マットはとても良かったです。彼もライアンと同じ状況で焦っているはずなのに、落ち着かせるために、普段通りに話しかけているところが、とても優しくてかっこよかったです。あんなにハンサムで頼りになる人と一緒なら、絶対に地球に帰れるって思いますし、私だったら絶対にロープを離してなるものかと思います。
だからこそ、宇宙ステーションのシーンの絶望感はすごかったです。それでも、彼は離れながら、頑張れとずっと励ましていましたからね。優しすぎました。
あんなことがあっても、マットのことや娘さんのことをちゃんと受け入れて、前に進めたライアンはすごいと思います。宇宙に行くのはとても大変だと聞きましたが、あんな人なら行けて当然でしょうね。
まとめ
宇宙に浮かぶ物の表現に驚かされっぱなしの90分でした。ストーリーももちろん前向きなもので楽しく見れましたし、キャラクターも良かったです。
もし一回しか見ないのであれば、画面をしっかり見るために吹き替え版で見た方が良い映画かもしれません。理想を言えば、映画館で見るのが一番だと思います。やはり一般家庭だと、周りの物や音が入ってきたりしますから。劇場を持っている人ならば、映画館で見るのが一番の映画です。
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