ミリオンダラー・ベイビー
2004年公開のアメリカ映画。日本では2005年公開。出演 クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン。監督 クリント・イーストウッド。
貧しい家庭に生まれた一人の女性が、出血止めの名人のトレーナーの下でボクシング世界チャンピオンを目指す話。対戦相手の尊厳を奪うボクシングというスポーツを通して、絆を深めていく二人の様子などが描かれる。
あらすじ
ロサンゼルスにある古びたボクシングジムに、世界チャンピオンを目指す一人の女性がやって来た。彼女の名前はマギー・フィッツジェラルド。生まれはミズーリ州の貧民街で、家族そろって生まれついての貧乏人だった。
そのボクシングジムを経営していたのは、フランキー・ダンという男性だった。彼は最高の応急処置屋でありながら、トレーナー兼マネジャーをやっていた利口で優秀な男だった。
フランキーは女性ボクサーの育成経験が無く、マギーの申し出を断った。だが、彼女は何度断られてもジムに通い続け、一人で強引にトレーニングを続けたのだ。そうしているうちに、ジムの掃除係であり元ボクサーの男、スクラップの目を引くようになり、フランキーもマギーのトレーナーを仕方なく引き受けることになった。
フランキーはほとんど素人だったマギーに、ボクシングを基本から一つ一つ叩き込んでいったのだ。
そして試合に出るようになると、マギーはフランキーの指導の下で勝ち続けた。すべての試合で1ラウンドKO勝ちをしてしまう強さであった。そのため、続く彼女の試合を組めなくなったフランキーは、心ならずもワンランク上の階級で彼女を闘わせたが、そこでもマギーは勝ち続けた。
すると快進撃を続けるマギーに、ウェルター級タイトルを賭けて、現チャンピオンの『青い熊』ビリーが対戦を申し込んできた。マギーにとってそれは多額の賞金を得るチャンスだったのだが、フランキーはそれを一蹴した。ビリーは相手を殺しかねないような汚いファイトで有名だったのだ。
かつて危険な試合を止められず、あるボクサーに一生背負う障害を抱えさせてしまった経験を持つフランキーは、自分のボクサーにタイトル戦などの大きな試合を闘わせることには、特に慎重になっていた。
それでもマギーは、フランキーを実の父親のように信頼して、彼の方針に従った。
そして彼から贈られた、ゲール語で『モ・クシュラ』と書かれたガウンを身につけて、マギーは世界中を旅しながら闘い続けた。エディンバラ、パリ、ブリュッセル、アムステルダム、どこでも彼女はモ・クシュラと呼ばれ、その名は定着していたが、マギーはその言葉の意味を知らなかった。フランキーに聞いても教えてもらえなかったのだ。
アメリカに帰国したマギーは、もう立派なプロになっていたため、フランキーはついにタイトル戦のオファーを受けることに決めた。『青い熊』ビリーが対戦相手になるそのタイトルマッチは、ラスベガスを舞台に100万ドルを折半するほどの大きな試合になったのだ。フランキーは勝ったら『モ・クシュラ』の意味を教えると言って、マギーをリングに送り出した。
そしてその試合は始まった。評判通りの汚い手を使われて、マギーは苦戦を強いられることになったのだが…。
互いの尊厳を奪い合うボクシングというスポーツに、精いっぱい尽くした彼らの運命は…。
感想(ネタバレあり)
いろんな面でリアルを感じる映画でした。
特に、序盤はボクシング初心者のような動きをしていたマギーが、フランキーに教わってからどんどん本物のボクサーのようになるまでの変化は、まるで本当に実在する人物がボクサーになるまでの過程を見ているような感じでした。その上、彼女がとても優しい娘さんで努力家だったので、自然と応援できました。
彼女を見守るフランキーの表情も、本当のお父さんのように優しくて、とても良かったです。ボクシングの試合も迫力がありました。
そして、良いことだけではなくて、目を背けたくなるような場面もリアルに描いていたことがとても印象的でした。
試合のシーンでは、フランキーがマギーの出血を止める場面が本当に痛そうでしたし、お金に汚いマギーの母親が出るシーンは、本当に嫌な気分になりました。マギーが優しい子だからこそ、辛い目にあっているのは見ているこっちも辛かったです。
クリント・イーストウッドさんとモーガン・フリーマンさんのかっこよさや、マギーの強さについては、割と現実離れしているようにも思いましたが、そこだけは安心して観られました。
私が一番穏やかに観られなかったのは、もちろんタイトル戦の後のフランキーとマギーについてです。
最後の行動について
フランキーたちの最後の行動については、いろいろと考えさせられました。対戦相手が一番悪いことは言うまでもないですが、私ならおそらくフランキーと同じことはやらないだろうと思いました。ですが、それと同時に、無関係なところから綺麗事を言うのは簡単だとも思いました。
彼らの行動はただの映画のキャラクターとしてではなくて、一人の人間として描かれていたからこその行動だったと思います。映画のキャラクターとして作られていたのなら、マギーに綺麗事を言って、二人で新しい希望を持って生きようという、前向きで批判も少ない終わり方もできたと思います。しかし、マギーが頑張る姿や苦しむ姿を近くでずっと見てきて、世界の誰よりも彼女に頼られていたフランキー・ダンという一人の人間の選択は、そうではなかったのだろうと感じました。
一年半彼女のそばにいた彼が悩み抜いた感情は、快適な環境でたった二時間の映画を観ていただけの私には、おそらく理解しようとしても完全には理解できないものです。なので、法律上で彼の行動を裁くことはできても、彼らの感情が良いものか悪いものか判断することは私にはとてもできないと思いました。
夢のような出来事と厳しい現実、どちらもリアルに描かれていた作品でしたが、最後の彼らの選択も、闘い続けて尊厳を得た頑固なボクサーと、彼女を鍛えて強い絆で結ばれたトレーナーの、善悪を抜きにした人間としてのリアルな答えだったと思います。
私には彼らの最後が良いとも悪いとも言えませんし、実際に同じような状況になった時、自分がどう思うかも分かりません。ですが、今の段階ではやはり、私はマギーのような人には新しい希望を見つけて生き続けてほしいと思います。綺麗事かもしれませんけれど。
まとめ
良い面でも見たくない面でも、リアルを感じられる映画でした。いろいろ考えさせられる物語だったので、ボクシング映画のつながりで『ロッキー』を観終えた後に軽い気持ちで観る映画ではなかったです。
申し訳ないですが、私はマギーのお母さんがお見舞いに来る場面を見て、ユニバーサルスタジオの印象が少し悪くなりました。何も関係ないのは分かっていますし、むしろその状況でも楽しめるほど面白い場所なのかもしれませんが、あの状況では少し嫌な感じがしました。
クリント・イーストウッドさんとモーガン・フリーマンさんがとてもかっこよかったです。
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