チョコレートドーナツ
2012年公開のアメリカ映画。日本では2014年公開。原題は『Any Day Now』。
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同性愛者のカップルが、母親に見捨てられたダウン症の少年を引き取って、一緒に生活しようとする話。
あらすじ
1979年。カリフォルニア州、ウエスト・ハリウッド。
バーのステージで女装をして、中央で踊っている一人の男性がいた。彼の名前はルディ・ドナテロ。歌手を夢見ながら、ショーダンサーとして家賃を稼いでいる同性愛者だった。
ルディはある夜、客として来ていた一人の男と知り合った。その男性の名前はポール・フラガー。彼は地方検事局に勤める弁護士だった。彼らは初めて会った日のうちに、すっかり意気投合した。
同じ日に、ルディは自宅アパートの隣の部屋で、母親に置き去りにされた一人の少年を見つける。ルディはマルコと名乗ったその少年を見過ごせず、彼を保護しようとポールに相談したが、父親でもなければ母親でもない彼らにはどうすることもできなかった。彼らが何もできないまま、マルコの母親は薬物所持で捕まり、マルコは家庭局によって養護施設に送られてしまったのだ。
しかし次の日、ルディがポールと共に車で移動していると、夜道を一人で歩くマルコを見つけた。今度こそ放っておけないと思ったルディは、家庭局に見つからないように、マルコをポールの家に連れて行って彼を保護した。ポールはマルコを守りたいという、ルディの強い思いを知り、マルコを合法的に引き取るたった一つの方法を彼に伝えた。
だがそれには、安全な住環境やマルコ一人の寝室などが必要だった。つまり、ルディとマルコはポールの部屋に同居することになったのだ。
それから三人での生活が始まった。ルディとポールは、マルコを実の子のように大切にした。毎朝、朝食を作って、学校に送って遊んで、帰ってくると宿題を教えて、毎晩寝る前にはお話を聞かせてあげた。彼をいい大人に育てようと、二人で愛して、世話を焼いて守り続けた。
そんな彼らに育てられたマルコは心の優しい子供だった。その笑顔は周りを明るくし、チョコレートドーナツが好物だった。女の子の人形を宝物のように扱っており、寝る前に物語を聞きたがって、ハッピーエンドを望んだ。
彼ら三人は、ハロウィーンやクリスマスといったイベントを楽しみながら、本当の家族のように、幸せな時間を共に過ごした。
だが、その生活は長くは続かなかった。ルディたちがマルコに会ってからおよそ一年後、同性愛者である彼らを良く思わない者が、彼らからマルコの監護権を取り上げたのだ。
愛する子供を取り返すために、二人は法廷で、自分たちへの偏見と闘うことを決意したのだった。
感想(ネタバレあり)
観る前に思っていたよりも何倍も苦しい映画でした。見ていてとても辛いシーンもあり、悔しい思いもさせられました。しかしとても考えさせられる映画であり、日常生活においても、もっと考えなければと思うような物語でした。
ストーリーについて
思っていたよりもずっと不安にさせられるシーンが多くて驚きました。幸せそうな三人を安心して見られたのは10分くらいしかなかったと思います。
裁判所のシーンがやはり特に悔しかったです。
1回目の裁判のシーンは、学校の先生やカウンセリングのおばさんがルディたちのことをとても褒めていましたし、ポールも良いことを言っていたので、私は絶対に監護権取れるなと思っていました。なので、あの判決は納得できませんでした。何でそうなるの?って本気で思いました。
二人がマルコを愛して、彼の人生に素晴らしい影響を与えたところまでは理解してくれたのに、その二人のような同性愛の関係は隠さなきゃいけないものだという考え方を改めないのは、よく分からなかったし悔しかったです。
他人に素晴らしい影響を与えたのであれば、それの元となった二人の関係も良いものだと私は思います。隠さなきゃいけないようなことじゃないと思います。
同性愛を隠さない生き方が子供に悪影響と言うなら、同じように異性愛を隠さない生き方も悪影響なのではないかと。どんな奴も同じ扱いを受けるべきだということは、合衆国憲法に定められているのではないかと。私は文句を言いたくなりました。
異性愛者でも、他人に良い影響を与える人もいれば悪い影響を与える人もいるのですから、あの判決に私は理解できませんでした。時代の違いかもしれませんね。
2回目の裁判のシーンでの、母親が再登場してからの怒涛の展開にはかなり焦りました。個人的にはそんなひどいことにする必要あるかなと思ってしまいました。私はてっきり、弁護士さんが言っていたように大人になって再会するのかと思っていました。
悲惨な事実でもなければ、人はその考えを変えることはない、ということなのですかね。確かに二人が何を言っても、最初から敵対していた人が、劇中でその主義をはっきり変えることは最後までありませんでしたね。しかし、それにしてもひどい話だと思ってしまいました。
後半部分は、おそらく実話を基にした話ではないのでしょうから、もっとハッピーエンドにしてほしかったです。途中では、あんなにハッピーエンドの話をしていたのですから。
価値観について
世間にこびりついた価値観は、やはりそう簡単に変えられるものではないと改めて思わされました。
一般常識やイメージを完全に無視して、目に前の個人のことを判断するというのは、とても難しいです。
この映画に出てきた裁判官や公選弁護人の方もそれがうまくできないために、多くの人と同じ考えに流されていたのだと思いました。世間のイメージや偏見が初めに頭にあって、それを基に判断している感じで、その場にいる個人を見ていない感じがしました。
ルディやポールがどんな人でどんな風に子供を愛していたか、マルコはどうすれば幸せなのか、ではなくて、一般的にゲイのカップルはどう思われているか、一般的な子供はどうすれば幸せなのか、そんな風に考えていたように、私には見えました。マルコがどうすれば幸せか、全体ではなく個人のことを考えていれば、時代がどうあれ、あの決断は無かったのではないかと思います。
価値観や考え方などは、マイノリティでもマジョリティでも、人それぞれ違うのが普通だと私は思います。なので、私がもし他人を評価するようなことがあれば、目の前の相手のことをしっかり考えるように努力したいです。
難しいことですが、一人一人がちゃんと目の前の相手を考えるように心がけることが大事だと思います。一人一人がそうやっていけば、その考えがだんだんと多数派になっていくかもしれません。
これを観て、マイノリティの方が全員良い人だというイメージが付くのもまた違いますからね。本当に自分で考えて判断するというのは、難しいということを改めて思い知らされます。
周りに流されたほうがずーっと楽なのですが、みんなが流された結果、悪い偏見が生まれるのかもしれないことを思うと、安易に現状の普通という考えに逃げてはいけないなと思いました。
劇中で言っていたように、簡単にはいかないからと言って、放り出していい問題ではありません。闘っていくしかないのだと思います。
キャラクターについて
私はルディのことがすごいなと何度も思わされました。
ゲイであることを隠したほうがスムーズに進みそうな場面がいくつかありましたし、強引すぎる場面もありましたが、周りの目を気にして自分にうそをついたりを一切していなかった彼はすごいと思います。
そもそも、本当の自分を隠さなければ生きられないというのもおかしいですね。みんなが自分に正直に生きられるようになればいいと私は思いました。
どんな見た目であろうと、どんな性的趣向を持っていようと、だれかを大切に守ろうとしていたり頑張っている人はかっこよく見えます。
個人的には学校の先生も好きでした。ルディたちに対して、最初から偏見の目で見ていなくて、それを裁判長にまではっきり示していました。吹き替え版では、声もとてもきれいでした。
黒人の弁護士の方もとても良かったです。法律の世界に正義はないと理解しながらも、それでも変えるために闘い続ける姿勢はとてもかっこよかったです。よく理解しているからこそ、変えられることもあると思います。
いろんな人が向き合って、初めて世界は変わっていくものだと思いました。わたしもそんな一人になれたら良いなと思います。
まとめ
思っていたよりもずっと苦しい話でしたが、よく考えさせられました。
これからはなるべく偏見とかイメージではなく、自分の目と頭で考えて行動しようと思わされました。どんな趣向を持っている人でも頑張っている人はかっこいいです。
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